文学散歩⑩
 2014/12/13(土)
第10回文学散歩は青梅線羽村駅に集合し、「大菩薩峠」の作者、中里介山の生まれた羽村を巡り、玉川上水の出発点「羽村の堰」を見学する。
コース:羽村駅ーまいまいず井戸ー五ノ神社ー介山公園ー禅林寺ー水神社・羽村取水堰ー羽村市郷土博物館
中里介山:13歳で小学校高等科を卒業し、電話交換手、教員などをしながら日本の古典文学に親しむ。21歳で、都新聞に入社し、次々に小説を発表する。28歳で「大菩薩峠」の執筆を開始。45歳の時、羽村に西隣村塾を開く。昭和5年大菩薩記念館開館。59歳で没。
まずは羽村駅のすぐ北側にあるまいまいず井戸を見学。まいまいずとはカタツムリのことで、すり鉢形のらせん状になっている。地層が脆いため、垂直の井戸を掘る技術がなく、このような手段で地下水脈に至るという手段が採用された。  
出来たのは鎌倉時代との説もあるがはっきりしない。昭和36年頃まで使われていた。 
五ノ神社は創建601年、市の有形文化財になっている。 
   まいまいず井戸
中里介山の碑がある介山公園で、先生による「大菩薩峠」の一説を聞く。トルストイの影響を受け、自給自足を旨とし、執筆の傍ら農業をしながら暮らしていたそうだ。
長い「大菩薩峠」を読破した人は少ないのでは。 
介山公園 大菩薩峠の一説を朗読
旧鎌倉街道を通り、介山の墓がある禅林寺へ行く。鐘付堂や山門が立派な寺だった。
介山の墓は、大菩薩峠から運ばれたという石が積み重ねられている。一度大菩薩峠に行ってみたいという人がいた。そういう思いで行くのもいいかもしれない。
中里介山の墓 禅林寺
羽村取水堰は、多摩川から分流する玉川上水の出発点で、新宿四谷まで43キロ。上水開削の功労者玉川兄弟の像がある。
私達は今年の初めここを出発し、東京湾まで多摩川沿いを歩いたことが思い出される。
水神社・羽村陣屋跡 羽村取水堰
橋を渡り、向かい側の三角屋根「羽村郷土博物館」へ。玉川上水の歴史、養蚕、中里介山について学べる。
庭には東大の向こうを張ったような赤門がある。元は徳川家に仕えた眼科医鈴木家の門で、それを譲り受け大菩薩記念館の正門として使われていたそうだ。中里家より寄贈。
羽村郷土博物館 赤門
茅葺きの民家を見学に行くと、管理人さんが説明してくれた。
入口手前にある風呂場(たらいがあり、行水するだけ)は、床がすのこで、流れた水が下にたまるようにでき、畑の水やりに使ったそうだ。
 神棚の〆縄は、稲妻を現し、雷の多い年は豊作だといわれる所以だそうだ。雷が発生すると、空気中に窒素ができ、それが肥料となるそうだ。
土間にはお茶を作る道具が置かれ、鉄板の上に和紙を広げ、茶葉を炭火で乾燥させたそうだ。ヘェ~~~と感心することばかり。知らないことが多い。 
今回参加者は14名。文学散歩の日はいつもよい天気に恵まれる。 旧下田家住宅
次回は蘆花公園へ徳富蘆花の足跡を訪ねる。